名残惜しくはありましたが、鶴鳴茶社を出まして、人民公園近くの目的地に徒歩で向かいます。
公園の中では、中国の公園名物・社交ダンスをやっているみなさんが。
人民公園を出ると、このような看板があり、非常に気になりました。
四川省峨眉派茶藝学校とのこと。
峨眉派って何だ?と気になります。なぜ成都に学校があるのかも。
その先には、ウイグル族の人たちがナンを売る店も。
峨眉山へ行く途中の車内食?として食べましたが、なかなか美味しかったです。
個人的には、新疆にもまた行きたいんですよねぇ。。。(最近は色々大変みたいですけど)
陝西会館
道草をしながら、徒歩10分ほどでやって来たのは、こちらの場所。
この建物の奥にある陝西会館でした。
現在はレストランとしてリニューアルされているところです。
陝西会館って何よ?ということになるのですが、陝西省の人たち(主に商人)が各地に建て、拠点としていた建物です。
昔は東京などにも良くあった、県人会の宿舎のようなものと考えれば近いかもしれません。
大きな都市にはこのような会館があり、そこで同郷の同業者同士の情報交換や取引などが行われていたようです。
なぜ陝西省かというと、昔のお茶の取引には陝西商人や山西商人が大きく関わっていて、それらの人々が拠り所としていたのが、中国各地にあった、こうした会館です。
そこには昔の建築だけで無く、資料や碑などが残っていることもあるので、「茶の歴史を追うには欠かせない場所」とのことです(茶旅の須賀さん談)。
ここの訪問は、私が企画を引き継ぐ前から事前に決まっていました。
ここへ行けば、四川省の蔵茶と陝西省の茯茶を繋ぐ手がかりが見つかるのでは無いか、という意図だったそうです。
案内文によれば、確かにここは清の時代の康煕二年(1663年)に創建され、1797年に戦禍によって破壊され、1885年に再建された場所のようです。
成都市内で現存する清代の会館としては、もっとも古い建物のようではあるのですが・・・
残念ながら工事中で見学は出来ませんでした。
まあ、茶旅であったり、歴史を追うということには、こういう空振りがつきもの。
「ほんの少しの手がかりを得ることだけでも、一筋縄ではいきませんよ」ということで、今回は良いのでは無いかと思います。
これも茶旅です。
天府龍芽
バスを待っている間に、こんなお店を発見。
「天府龍芽」というお茶ブランドのお店です。
このお茶、四川省政府が最近力を入れてプロモーションしている官製ブランドなんですよね。
→中国茶情報局「四川省、官製ブランド”天府龍芽”を推進」
ただ、どのようなお茶が売られているのか、全く未知数で。
天府龍芽というお茶があるのか、それともブランド名だけで、四川の各地のお茶が揃うのか。
どのくらいの水準のお茶をどのくらいの価格で売っているのか、など。
そのへんの情報があまりにも無いので、非常に気になりました。
個人的には”飲めない”歴史よりも”今飲める”お茶に、より関心があります。
よっぽど、バスが来るまでの間にササッとお店に入って話を聞き、少し買おうかと思ったのですが・・・
幹事がそれをやるとおそらく時間通りに出発できない(多分、みなさん買いたがる)ので、さすがに断念しました。。。
まもなく、バスが到着。
乗り込みまして、ここから一気に峨眉山へ向かいます。
峨眉山までは、約2時間半とのこと。
天福茗茶運営のサービスエリアへ
バスは快調に高速道路を飛ばし、約2時間ほどで楽山市の近くへ。
昼食休憩を兼ねて、こちらのサービスエリアへやって来ました。
夾江天福サービスエリアです。
ん、天福?という名前でピンと来る方もいると思うのですが、そうです。
あの天福茗茶が運営するサービスエリアです。
茶葉博物館(有料)があったり、後ろには茶園などもあるほか、お茶やお茶菓子の工場などもあるようです。
個人的に非常に気になったのが、こちらの碑。
二十一世紀は中国人の世紀で、そして必ず中国茶の世紀になる。 李瑞河
スゴイ強気なこと書くな・・・と思うのですが、李瑞河というのは、天福茗茶の創業者です。
そして、台湾の天仁茗茶の創業者でもあります。
この方、元々は台湾で天仁茗茶を本格的な茶葉販売チェーンに育てた人です。
そこまでは良かったのですが、その後、証券業界に進出し、天仁をかなり大きな企業グループに成長させます。
ところが天仁証券事件で30億元の大損失を計上し、天仁茗茶も手放さざるを得ない状態になりました。
その時の年齢が58歳。何度も自ら命を絶つことを考えたそうです。
ところが、中国にチャンスがあると見るや、大陸の自分の祖先のふるさとに渡って再び茶業に挑戦し、再起を図ります。
その結果は、皆の知る天福茗茶です。現在では香港市場に上場する中国でもナンバーワンチェーンになっています。
さらに、台湾の天仁茗茶の筆頭株主に返り咲き、見事な再起を遂げた・・・という方です。
この方の伝記でも日本語で出版されたら、結構な評判になると思うんですが。
ちなみに、なぜ高速のサービスエリアをやっているかというと、天仁茗茶時代に台湾のサービスエリアの運営経験があったそうなんですね。
そのやり方を中国に持ち込んで、中国のサービスエリアの品質も向上させた・・・ということのようです。
お手洗いも綺麗ですし、食事も台湾風の食事やさまざまなお茶を使った点心などもあり。
販売コーナーでは、試飲をさせながら、地元の楽山市に展開している茶園の茶葉を使った製品を積極的にPRしていました。
天福茗茶、個人的には大いに研究したい企業です。
食事後、再びバスに乗り、いよいよ峨眉山へ到着です。
続く。
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