雨の街・雅安
四川省西部にある雅安市は、四川盆地と西蔵高原の境界付近にあることから雲が発生しやすい場所です。
そのため、雨天は年間200日以上に達し、”雅安に三日の晴れ無し”とも言われ、「雨城(雨の街)」として知られています。
”雅安天漏”(天井が抜けているので雨が漏れている)という言葉もあり、それを塞ごうとする像があったりします(冒頭の写真)。
雨が多い街というと、ややもするとネガティブなイメージにもなりがちなのですが・・・
雅安では、雅安の名物を「雨」(雅雨)と「美女」(雅女)、「魚」(雅魚)とし、それらを”雅安三絶”と呼んでいます。
雨も、しっかり名物に組み込んでおり、ポジティブに捉えているようです。
実際、街の真ん中には青衣江が流れ、しっとりした良い感じの雰囲気の街です。
全くの余談ですが、私の名前は雅安の茶業者にはウケが良いです(”雅安”の”樹”なので。そりゃ、お茶に決まってるわ、と。)
”良い雰囲気の街”と書きましたが、実際にはスケジュールがかなり詰まっていて、あまり街歩きは出来ず。
初日の夜に、ホテルから街の真ん中辺にある、廊橋まで川沿いを少し歩いたぐらいです。
小雨の降る中で、やはりこのあたりが雅安っぽい。
廊橋にある蔵茶のお店へ
これが廊橋です。
橋の上がショッピングアーケードになっていまして、真ん中へんにはホテルもあるみたいです。
こちらにやって来たのは、入口付近にある、このお店にお邪魔するため。
蔵茶のメーカーである兄弟友誼蔵茶廠の直営店です。
元々訪問の予定はなかったのですが、こちらに社長の甘玉祥さんが来てくれ、話が聞けるとのことで。
このジャージ姿の方が社長の甘玉祥さんです。
こういう格好をしていると、そこらにいそうな”普通のおっちゃん”に見えるのですが、この人、実はすごい人で。
蔵茶の製法は、中国の無形文化遺産(非物質文化遺産・非遺)です。
その製法をマスターした方は”非物質文化遺産伝承人”として、国や省、市政府などの各レベルで認定されています。
※この”伝承人”のことを”人間国宝”と呼ぶ人もいますけど、それはちょっと違うかな、と思います。
で、この方。蔵茶の世界においては唯一の国家レベルで認定された伝承人なんです。
明日訪問予定の雅安茶廠の社長さんですら、省レベルの伝承人なので、まあ認定ランクだけでいえば”格上”ということになります。
おそらく、こちらがシェアトップの企業ということが影響していると思うのですが。
実際、蔵茶の国家標準の制定などにも携わっています。
まあ、何でそんな人にサクッとアポが入ったかというと・・・
今回の旅行のコーディネートをしてくれた、王静さんの実家の近くに工場があるそうで、昔からのお知り合いなんだそうです。
ジャージ姿の社長、経営を大いに語る
この社長、一気に会社を大きくした方らしく、経営哲学などを蕩々と語り始めます。
その話ぶりは非常に整理されていて、「この話、しょっちゅうしているんだろうなぁ」と感じます。
この社長の話を掻い摘まんで要約すると、
・これまで蔵茶は少数民族だけが飲めるお茶だった
・しかし、ようやく漢民族が飲めるようになった
・中国の生活水準は向上してきており、お茶の品質もどんどん向上してきている
・今までのような原料(下の方の葉っぱや茎が多い。紅苔部分まで使う)を用いたような蔵茶では、もはや満足できないであろう
・そこで原材料を厳選した(一芯二葉で摘む)、新しいタイプの蔵茶を作った
・それが「甘弘」という蔵茶だ
という話でした。
このうち、「ようやく漢民族が飲めるようになった」というのは、現在、蔵茶の関係者が口を揃えて言う言葉です。
中国のお茶の生産量が少ないうちは、少数民族へお茶を供給することを優先するため、漢民族は蔵茶を口にすることは許されなかったのです。
それは徹底していて、たとえ蔵茶を生産している工場の人でも、飲むことはできなかったのです。
これはどうやら事実のようでして。地元・雅安出身の王静さんも蔵茶を飲んだことは無かったとのこと。
「蔵茶は少数民族向けのお茶で、大して美味しくないお茶なのではないか」というイメージだったそうです。
地元・雅安の人ですらこうなのですから、中国の他地域の人には、もっと知られていないことでしょう。
蔵茶、有名なようでいて、中国国内でもまだ知られざるお茶なのです。
それだけに「プロモーション次第では、まだまだ漢民族向けに需要を伸ばすことが出来る」と考えているのが現在の蔵茶関係者の共通見解のようです(翌日の雅安茶廠でも同じようなニュアンスの話でした)。
茶葉の生産量に余裕がでてきたので、今の蔵茶メーカーの経営課題は、”低採算の少数民族向け”から”漢民族向けにいかに付加価値をつけて蔵茶を売るか”なのだろうと思います。
そこに対してのアプローチは、メーカーごとに違いがあり、この会社の場合は、伝統的な原料・製法の蔵茶ではなく、現代的な原料・製法による蔵茶製品の投入ということのようです。
ということで、その「甘弘」という新タイプの蔵茶をスタッフの方が延々と淹れて、飲ませてくれていました。
コーヒーメーカーでも淹れていて、「おお、この手があるか」と思ったり。
確かに、口当たりがまろやかなのです。I先生も大絶賛しています。
ただし、お値段は高級緑茶並みです。1斤1000元近くします。
もはや、蔵茶の値段ではないです。
黒茶=微生物発酵茶ではない?
一通りの経営哲学を語り終えた社長。
「何か質問はありませんか?」と旅の一行に投げかけます。
須賀さんは、合間合間でスパッと質問をし、社長からどんどん話を聞きだしています。
各地に出かけているだけではなく、文章としてまとめるために一期一会な取材をしているので、インタビュー能力がハンパないのです。
「少数民族向けの蔵茶生産が儲かるか?」とか、普通は聞けないと思うのですが、外国人ならではの特権?を駆使してそういうことも聞き出してしまいます。スゲェ。
その須賀さんをして「この人、商売が上手い」との感想。私もそう思います。
やはり気になるのは、黒茶ならではの渥堆のことでしょう。
その製法に関する質問のやり取りの中で、衝撃的な発言がいくつか飛び出てきます。
まず、社長から、渥堆というものについて、みなさんはどういうものをイメージしているのか?という話になり、「え、水を撒いて・・・」のような話になると・・・
「もし、水を撒くというような業者がいるならば、すぐに立ち去った方が良いです。それは衛生的に問題がある」
とのこと。
「水を上から撒いたら、その水は下の方に溜まる。しかも、それをひっくり返すとなれば、人が入り、ぐちゃぐちゃに踏み荒らすわけですよね?そのようなやり方が本当に衛生的と言えるでしょうか?」
「そもそも、その撒く水は、本当に衛生的な水だと確信できるのでしょうか?」
という、鋭いツッコミが。
そう言われれば、確かにそうですね。
えー、でもそうしないと微生物が・・・
と話をしていたら、
「微生物?そんなものがいたら高温で滅菌しますよ」
と畳みかけるように爆弾発言を。。。
「いいですか?黒茶の渥堆発酵に必要な要素は、水分と温度と時間です。この3つ以外にはありません」
「最も衛生的な水分というのを考えたことがありますか?それは茶葉自体が元々持っている水分です。うちはそれを使って渥堆します。外から水を与えるということはしません」
「さらに衛生的な環境で渥堆が出来るように、うちでは渥堆筒(ドラム)を使います。この中で回すようにして、効率的に渥堆を行う。人が入ることも無く衛生的です」
「繰り返しますが、渥堆発酵に微生物は関係ありません」
と、「黒茶=微生物発酵茶」と暗記している方であれば、ガラガラと知識の前提が崩壊するような爆弾発言を投入してきます。
普通のおっちゃんが言っていることなら無視できますけど、この人、蔵茶の国家級伝承人ですよ。
その人が微生物発酵を否定しちゃうという、まさかの展開。
私は、黒茶の渥堆発酵とは、”微生物だけではなく、水分や熱、(晒青緑茶ならではの)残存酵素などの総合的な作用で成分が変化するもの”という理解をしています。
そういう人なら、「まあ、これは極端な意見だけれども、一理あるわね」程度に受け止められるのですが、大抵の人たちはパニックになるでしょう。
私、個人的には「この社長、ちょー面白い!」でしたがw
「いやー、だから、うちの工場を見て欲しかったのに」
「明日時間ないですか?無い?それは残念ですね・・・」
とのこと。
いや、それはこんな話聞いたら、工場見たくなりますよ。
でも、時間が無いのです・・・
(翌日は午前中に雅安茶廠を見学し、午後は郊外に茶馬古道の痕跡まで行く予定で帰宿は夜というハードスケジュール。翌々日は成都まで戻って帰国)
実は企画の時点で、王静さんからこの会社の工場見学も提案されていたのですが、何しろ時間が無いので、今回は蔵茶の工場は、雅安茶廠だけにしたんですよね。
まさかこんな常識をひっくり返すようなことを言う社長だったとは。分かってたら、日程延長してました。
というわけで、社長に対して、小声で
「来年、来ます・・・」
と答えることになりました。
「えー、2年連続で四川に来るのか?」と思ったのですが、あまりにも積み残しが大きいですし、一回繋がった縁を繋ぐのは、行動あるのみです。
茶旅の会で来るのは無理としても、個人ででも来ましょう。そのくらいの価値はあると判断しました。
まあ、この社長が「微生物は一切関係が無い」と言い切るのは、それも彼なりの生存戦略だと思われます。
黒茶の泣き所は、どのような微生物が混入するか分からない、というところにあります。
「伝統的に問題がないから、良いでは無いか」というのが、伝統技法側の言い分なのですが、科学的にはこれは弱いです。
プーアル茶の発酵に関わるとされる、いわゆるコウジカビと呼ばれるアスペルギルスの類いには、アスペルギルス・フラバスのような発がん性のあるものもあるわけで、それが混入しないと言い切れるか?と言われると、科学的にそれを否定する術がないのです。
実際、プーアル茶の発がん性というのが時々問題になり、その都度、一部で炎上することがあるのですが、その火種はまさにこの理由によります。
もし、衛生的な微生物発酵茶を作ろうとすれば、それは日本で作られている国産プーアル茶などで見られる、いわゆる微生物制御発酵茶になります。
この場合は、一度滅菌をして、無菌状態を作ります。その上で特定の微生物を付けていくという工程を経ることで、どんな微生物がいるのかを特定できるようにする(制御する)というものです。
しかし、これでは特定の微生物が関与するものだけしか成分の変化は起こらないため、伝統製法で作ったものと比較すると明らかに発酵不足あるいは発酵不良のような状態になってしまいます。
渥堆発酵は複雑系であり、一部の特定の微生物を抜き出すだけでは、全ての変化を再現できないのです。
安化黒茶などでも特定の金花菌を植え付ける方法などが試されましたが、見た目は金花びっしりになるものの、やはり味わいが伝統製法と同じにはならないと専門家の方は否定的でした。
おそらく、そのようなデメリットは重々承知した上で、黒茶に生じがちな消費者の衛生面での不信を払拭するためには、極端な方針を打ち出すことに決めたのだろうと思います。
荒唐無稽なようではありますが、歴史と伝統が積み重なったような元国営企業などと競争を行う上では、ある程度の奇策も必要・・・ということでしょう。
三国志の”天下三分の計”のようなもので、さすがは四川。蜀の国・・・です。
続く。
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