雅安市漢源県へ
大急ぎで雅安茶廠を後にして、高速道路で郊外へ向かいます。
いきなりスケジュールが3時間も遅れるという大惨事(というか、雅安茶廠の見学スケジュールの見積もりが甘すぎた)なので、急がねばなりません。
当初は雅安市内で食事をとってから向かう予定だったのですが、時間が無いので、高速のサービスエリアでとることに。
さらに、これから行く先の漢源県には有名な老街(九襄老街)があります。
本来は、そこを見学する予定だったのですが、ばっさりとカットすることにしました。
とにかく、茶旅的には茶馬古道には行かねばならないので、それが最優先。それ以外はカットの方向で。
ストイックにお茶だけ追いましょう。
高速道路から見える景色はなかなかです。
黄色く見えるのは菜の花ですね。花が咲く良い季節です。
道中は至って快調で、食事などをしつつも、雅安からは2時間ほどで高速道路を降ります。
漢源県は雅安市の行政区域ではあるのですが、こちらは晴天が多く、果物などの産地でもあるようです。
この時期は特に桃の花が咲き乱れており、その花を見に来る観光客も大勢来ていました。
花で街おこしをしているようです。
中国らしく、大きなバスで移動していると時々検問がありまして。
検問の方に「茶馬古道のあたりには、どんな花があるのか?」と聞いてみたところ、「あんなところには何も無い」という、つれない返事がw
私たちのバスは、観光客の人たちが沢山いる公園などを素通りして、どんどん山へ。
標高がだんだん高くなってきます。
ここで、たいへん大事なことに気づきました。
「え?茶馬古道って、標高高いの?」
標高が高いということは・・・
海抜が100m上がるごとに気温は0.6度下がるって言いますから、それは寒くないか?ということに気づきます。
春だと聞いていたので、油断していました。
そんなに厚手の防寒着は着てきてないし、参加者のみなさんも持ってないぞ・・・
バスはぐんぐんと山を登っていき、荒涼とした風景が広がります。
車内では、高度計を見ていた参加者の方が「もう、2000m近いよ」と。
2000mってことは、海抜0mのところとの気温差は、マイナス12度。
雅安市内はちょっと標高が高かったとはいえ、1000mはないはずだから、どう見積もっても7~8度は低そうです。
これは参りました。まあ、薄手とはいえ、みなさんコート着ているので、我慢しましょう。
駐車場から30分は歩くみたいですし。
花椒の植わる村へ
高速を降りてから30分ほど。
標高2000mになった、というところで、茶馬古道の入口にやって来ました。
山の上なので、非常に風が強いです。
どうもこのあたりは作物らしいものも育たないので、四川名物の花椒を育てていて、その名産地となっているようです。
茶馬古道について、日本では少し誤解があるようです。
”お茶を馬が背負って運んでいく道”と解釈する方がいますが、そうではありません。
お茶と馬を交換する貿易(茶馬貿易)を行っていたので、その道ということです。
チベットまでの運搬手段は、主に人力。茶葉を背負って、人が断崖絶壁のようなところを少しずつ進んでいきます。
さらに言うならば、シルクロードのように主要なメインの道だけを指す言葉ではなく、膨大な交通路全体を指す言葉です。
ここは雅安の工場を出て、途中の中継点である康定へ向かうまでの道です。
割と保存状態が良く残っている、今は羊圏門。かつては王建城と呼ばれていた場所です。
どうも観光地化を目指そうとしていたようで、中国語、英語、韓国語の解説があったりもします。
まあ、もっとも誰も訪れる人はいなさそうな感じなんですが・・・
駐車場にバスを置いて、ここからは山(といっても、村の中を通る舗装路)を歩いて行きます。
やはり山の上で、風が強い場所だからか、見渡す限り花椒の樹しかありません。
おそらく、ここも四川大地震の被害には遭っているはずなので、そこからの復興策として、地元政府が花椒づくりを奨励しているのかもしれません。
漢源県の花椒は四川でも有名なブランドになっているようです。
かなり急な傾斜をふうふう言いながら登っていきます。
標高が高いということは空気も薄いわけで・・・
もっとも地元の方は、大量の薪を背負って普通に歩いています。
15分ほど歩き、「こんな場所に本当に茶馬古道の遺跡などがあるのだろうか・・・」と疑念が出てきた頃、(冒頭の写真の)茶馬古道の文字が目に入りました。
茶馬古道羊圏門段
茶馬古道の文字が見えてきた先には、なんとなく作り物っぽい建物がいくつか。
観光開発をしようとしたときに作った土産物店や茶店の跡のようです。
今は訪れる人もいないので、商売はしていないみたいですが(それはそうです)。
その奥には、門のようなものと看板、像がありました。
茶馬古道を歩く人たちの像ですが、後ろには沢山の蔵茶を背負っています。
ただ、この像、よく見てみると・・・
左側の像は、乳飲み子を抱えた女性のようです。
担いでいく量は男性ほどでは無かったにせよ、女性もこうして運び手として過酷な労働をしていたわけです。
茶馬古道を通じた、茶馬貿易の収入は国家財政的に非常に大きいものだったようです。
なんでも、清の時代では国家財政の10分の1、当時このあたりを管轄していた西康省の財政の半分は茶馬貿易によって、もたらされたものだったとか。
ただ、そのようなビッグビジネスを支えていたのは、このような名もなき人たちが、一歩一歩、大地を踏みしめていったことによるものです。
奥の方には、石畳の道が延びていました。
ここは隣の滎経県とを結ぶ峠への入口のような場所なのかもしれません。
王建城と呼ばれていたことの遺構なのか、石垣のようなものも少し残っていました。
かつてはとりたてて産業がなく、農閑期は蔵茶の運び手をするぐらいしか、生活の糧を得る道が無かったのかもしれません。
そう考えると、花椒で生計が立つのであれば、それに越したことはないですね。
とりあえず、今回は茶馬古道が決して平坦な道ではなく、雅安を出てほんの少しぐらいの場所で、既に標高2000mオーバーの道になっていることが分かりました。
いやー、本当に思っていた以上に、これは大変な道のりだと思いました。
それが分かった、ということを収穫として、すぐに下山することにしました。
・・・とにかく風が強くて、寒いので(((((((((^^;)
市内に戻る
帰りは、途中の便利屋さんのようなお店に立ち寄って、参加者のみなさんは花椒を購入。
私も少し分けてもらったのですが、帰国してから市販している麻婆豆腐の素に少し加えてみたら、本場の味に化けました。
スパイスは偉大ですw
雅安市内に着いたのは、もう夕方。
ここのところ、豪勢な料理が続いていたので、夕食は雅安茶廠の人にお勧めされていた、麺のお店で、軽く。
有名店だそうで、かなり美味しかったです。
その後、ホテルに戻ってから、スーパーマーケットに買い出しに行ったり、茶室を見学したり。
なんだかんだで、かなり充実した一日が終了しました。
続く。
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